お金があればなんでもできる?『それをお金で買いますか 市場主義の限界』著:マイケル・サンデル

書籍レビュー

本書の概要

「一人乗りドライバーによる相乗り車線の利用」「アメリカ合衆国へ移住する権利」「絶滅の危機に瀕したクロサイを撃つ権利」「二酸化炭素の排出をする権利」

このような権利を果たしてお金で買ってよいのだろうか?

サンデルは市場経済が抱える弊害を二つ挙げる。

  1. 不平等の拡大(お金で買えるものが増えると、貧しい人と裕福な人の格差が大きくなる)
  2. 市場で取引するとそのものの価値が腐敗する(例えば、大学入学の権利をお金で売れば、大学の名誉は失われる)

上記のような弊害があるにもかかわらず、現代社会で広く市場経済の論理は採用されている。市場経済の論理は人々の道徳的判断を排除し、「いくらでやりとりするか」という問題にすり替えてしまう。現代政治における道徳の空白を生み出す一因である。

市場に道徳的な判断をゆだねるばかりではなく、我々自身が共通善について考え、論じていくことの大切さを説いた書籍。

テストのよい点はお金で買えるか?

 様々な論題が本書では提示されていますが、そのうちの一つに学校教育の場で行われたインセンティブの実験例が挙げられています。テストで高得点を取った際に、あるいは本を一冊読むごとに、学校から生徒にお金が支払われる、という内容です。

 学校が生徒にお金を払う、という考え方は奇異に映ります。私も「学校が勉強をする生徒にお金を渡すってどうなんだ」と感じました。なんだか道徳に反している行いのように思われました。

 でも、インセンティブによって効果が出るのならば、仕方ないことでは?とも考えられます。果たして生徒たちの成績は上がったのでしょうか?

  こうした現金の支払いはさまざまな結果を生んだ。ニューヨークシティでは、子供にお金を払ってテストの点数を上げようとしたが、学業成績はまったく向上しなかった。シカゴでは、好成績を収めた生徒に現金を与えたものの、出席率は改善したが共通テストでは何の成果も出なかった。ワシントンDCでは、報酬が一部の生徒₍ヒスパニック、少年、行動に問題のある生徒₎の読解力スコアの向上に一役買った。現金の効果が最も大きかったのが、ダラスの二年生の場合だ。本を一冊読むたびに二ドルをもらった子供たちは、その年の終わりには、読解力スコアを向上させていたのだ。

『それをお金で買いますか』

 効果がなかったと見られる例も、効果があるとみられる例も、どちらも存在します。インセンティブがあれば、必ずテストで良い点を取れるようになる、という単純な話ではありません。著者は、効果があった例について、効果を生んだ理由を以下のように分析しています。

お金には表現効果があった――よい成績をとることを「クール」にしたのだ。これこそ、金額が決定的なものでなかった理由である。₍中略₎……APインセンティブプログラムが成功を収めたのは、成績を上げるために生徒に賄賂を贈ったからではなく、学業成績と学校文化に対する姿勢を変えたからなのである。

『それをお金で買いますか』

 本文に挙げられている例を見る限りでは、低所得者層やマイノリティ、問題のある生徒たちといった非エリート層に実施されたインセンティブが効果を発揮しているようです。彼らはお金がもらえるから勉強する、というわけではなく、勉強をし、成績をとることが「クール」だと思えばこそ、生徒たちは勉学にまじめに取り組み、テストの点数も上がった、というわけです。ここでお金が果たした役割は、勉強が「クール」であると思わせるきっかけに過ぎなかった、と言えます。

 このように、経済上のインセンティブを与えることで成績があがる、というのは一概には言えないようです。誰が、どのようにして、インセンティブに対して反応するのかを考えないと、成績を上げるという目的を効果的に達成することはできません。

 市場経済の原理を適用すれば、全てがうまくいく、とは限らない。著書は数多くの実例を持ち出し、市場経済に組みこむ弊害について語っています。不平等の拡大、価値の腐敗に加えて、効果が保証されているわけでもないことを念頭に置いて、我々は市場経済的な発想と付き合っていく必要があるのです。

議論を深めよと言うけれど

 著者の主張は、市場経済が隅々まで浸透した社会への警鐘です。市場経済の論理の乱用をやめ、人々が議論を活発に行い、問題について考える社会の実現です。

 著者の主張そのものには妥当性があると私は思います。しかし現実的であるかどうかと言えば、答えはノーと言わざるを得ません。何故か? 今、人々が道徳的な議論を行うスキルや場所を持っていないから、というだけではありません。それだけが理由なら、議論を行うスキルや習慣をこれから育てるべきですから、ノーという答えにはなりません。

 もう一つの理由は、私たちは自ら議論を行い、思考する習慣を更に放棄していく方向へ進んでいっているように思えるからです。

 例えば、あまり自分自身が詳しくない分野において、何らかの問題について是非について論じるように言われたら、あなたはこれからどうしますか? 同性婚、代理母、貧困、移民……問題そのものはなんでも構いませんが、大多数の人は恐らくやることは変わらないでしょう。圧倒的多数の人はまず「ググる」のではないでしょうか。取り上げる問題について理解を深めるために情報収集をしたり、あるいはインターネット上で表明されている賛成反対の意見について取り上げるためであったり。

 別段「ググる」ことを私は否定しているわけではありません。私も恐らく同じことをするでしょうから。インターネットが非常に便利なツールであることは間違いありませんし、自分で思考する材料を集めるために活用するのは何の問題もありません。

 しかし、問題についてググった瞬間に、AIが瞬時に回答を出してくれるとしたらどうでしょう? 根拠も論証もしっかり揃っていて、納得できるような内容だったら、大多数の人は自分の頭で考えるのをやめてしまうのではないでしょうか。

 近年、AIの発展が著しいと言われています。Amazonで買い物をしていれば、過去の履歴から商品をお勧めされますし、AIで絵を描くこともできるようになりましたし、対話型のAIも今や珍しくもなんともないのです。将来的に、人間の代わりにあらゆることに対して判断を下すAIが出てきても何の不思議もありません。

 AIの発展に伴い、私たちは自分の頭で考え、決定することを少しずつ手放しつつあるように思います。AIを胡散臭いと忌避するのではなく、まるで権威ある専門家のように見なすようになりつつある。それはある一面では正しいけれども、危険性も伴います。

 著者が主張するように、人々が道徳的な立場を明かして議論をすべきであるのは、その通り。しかし、その実現は時代の流れと逆行するために難しいのではないか、と私は思いました。

総評 ★4.0:副題の通り市場経済の限界について論じ、公共の場における議論を活発にすべきと説いた書籍。本文中に挙げられる数多の例から、市場経済が万能でないことは容易に理解できる。一方で、著者が強調する議論の重要性は理解できるものの、実現させるには困難が付きまとうことは想像に難くない。

参考記事

 前著『これからの正義の話をしよう』でも、道徳的価値判断における議論の重要性を著者は訴えてきました。今回取り上げている『それをお金で買いますか』でも、著者が目指すところは変わりません。併せて読むとより理解が深まるでしょう。

 今回の記事の後半では、今後のAIの発展について触れました。テクノロジーが将来社会に及ぼすであろう影響を論じた『ホモ・デウス』も非常に面白い書籍ですので、一度読んでみてください。

プロフィール
よまず
yomazu

読書歴10年。大学時代まで全く本を読まない人生を送っておりましたが、文芸部に入部して小説を読んで批評したり、書いたりしているうちに読む習慣がついてしまいました。
一応好物は童話、ファンタジー系ですが、ビジネス書から小説まで読まず嫌いせずに読んでいきます。
現在仕事を辞めて、まったり専業主婦ライフ中。

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