能力主義が生み出す社会の断絶『実力も運のうち 能力主義は正義か』(著:マイケル・サンデル)

書籍レビュー

本書の概要

 「才能と努力の許す限り」出世できる平等な社会は、本当に理想の社会だろうか?

 能力主義は、社会の勝者たるエリートたちに驕りをもたらし、敗者たる非エリートたちに屈辱を植え付け、社会に深刻な断絶を生みだした。

 能力主義がもたらす害悪とは? なぜ能力主義は大きく栄えたのか? どのようにすれば能力主義の専制に打ち勝つことができるのか?

 著者は人々が連帯し、寛容な社会の実現のために、能力主義についてあらゆる面から考察を述べ、その処方箋を提示する。

勝者の驕り 敗者の屈辱

 本書ではアメリカの歴代大統領の発言を引用し、レーガンに始まりオバマに至るまで、出世のレトリックが執拗に繰り返されたことを指摘しています。彼らはそろって、人種や出自によらず、己の才能と努力によって成功をつかむ社会を礼賛しています。オバマの以下の発言が、本書の中で引用されています。

「アメリカを卓越した国にするもの、きわめて特別な国にするものは、こうした基本的契約、こうした考え方です。つまり、この国では、どんな見た目であろうと、出自がどうであろうと、名字が何であろうと、どんな挫折を味わおうと、懸命に努力すれば、自ら責任を引き受ければ、成功できるのです。前へ進めるのです」

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 オバマ元大統領の発言

 オバマの言葉は、貧困にあえぐ人々を鼓舞するように聞こえます。貧困から這い上がれる手段を、はっきりと示しているのですから。

 しかし、現実にはそうではないのです。多くの人々に、魅力的な言葉としてもはや響かないのです。

 それはなぜか? まず、不平等が一向に解消されないからです。上位1パーセントの人の収入が人口の下位半分の合計を超える収入があり、成功の大きなカギを握る名門校への進学は裕福な家庭の出身者が三分の二を超える。貧しい生まれの人々が富裕層どころか、中間層以上に這い上がることさえ三分の一程度。貧富の差は世代を超えて受け継がれてしまうことを認めざるを得ません。

 第二の理由は、人々への心理的な側面です。出世のレトリックは、努力すれば成功すると謳っています。では、成功しなかった人たちは努力しなかったのでしょうか? それとも才能が足りなかったのでしょうか? このような論調になることは避けられません。

 能力主義は勝者に驕りを、敗者に屈辱を与えると著者は主張しています。勝者も敗者も、成功の分水嶺は己の才能と努力の有無であると刷り込まれています。勝者は才能や努力を育ててくれた社会や周囲の環境があったことを忘れ、過剰なほどに己の才能と努力を誇る。一方、敗者もまた、社会や環境など他の要因を言い訳にすることも許されずに、己の才能と努力の欠落を突きつけられる。彼らは次第に、社会のエリートとなった勝者たちに見下された、と怒りの感情を向けるようになります。敗者たる非エリートの人々の怒りが、オバマの次の大統領にトランプが選ばれる要因となったのです。

 やればできる。ごくありふれた励ましの言葉です。私たちの生活のあちこちで耳にしますし、そのように言葉をかけられることも、かける側になることも少なくないはず。しかし、その言葉がどこまで人のやる気を引き出すのでしょうか?

 「そうだ、やろう」と鼓舞される人がいる一方で、「いや、やってもできない」あるいは「やったが、できなかった」と落ち込んだり、怒りを覚える人もいることを忘れてはなりません。「もっとやればできる」と安易に追い打ちをかけるようなことはもってのほかです。

 能力主義には確かに人々を鼓舞する能力がありますが、その一方で人々を貶める能力を持っているのです。この両方の側面を我々は認識しなければならないのです。

社会の断絶を癒す処方箋

 著者は能力主義が生み出したエリートと非エリートの断絶に対して、二つの面から解決策を提案しています。それは教育と労働です。

 教育はエリートになるための成功のカギ、選別装置として現在大きな役割を果たしています。ハーバードやスタンフォード大学といった名門大学に入学することが、収入が高く地位の高い職業へ至る第一歩なのです。

 名門大学の合格率は極めて低く、スタンフォード大学は5パーセント、シカゴ大学では2019年には9パーセント。このような超難関大学に通うのはアメリカの学部生のうちわずか4パーセントで、80パーセントを占める大学生は志願者の半分以上を合格させる大学に通っています。

 名門大学入学にあたって、苛烈な試験勉強に学生たちは晒されます。前述のとおり名門大学に通う家庭の多くは裕福な家庭であり、親や環境による後押しが大きいのですが、過酷な試験勉強を潜り抜けることができたのは、己の才能と努力によるものだと彼らは考えてしまいます。同時に、潜り抜けられなかった人たちに対してそれらが欠けていたのだと考えることになります。

 著者はここで、入学試験の実施方法について一つの改革案を出します。それは、くじ引きを用いた試験です。入学に当たって適格な、一定以上の点数を獲得した出願者たちの出願書からくじで合格者を決定するというのです。

 くじで決める、というのは一見すると荒唐無稽な方法に聞こえますが、くじによる選別は勝者に対しても才能と努力の驕りに陥ることを許さない点で優れています。同時に敗者の屈辱を和らげることも可能です。こうして、能力主義の負の側面を補うことができるのです。

 いくつか想定されるであろう反論に対して著者は答えています。学力を心配するならば、適切な基準を設定すればよい。多様性を心配するなら、マイノリティに対して一定の入学枠を保証すればよい。大学の威厳が損なわれるのではないか、という反論に対しては、それは反論にならないと答えています。苛烈な入学競争が教育と学習の質を向上させただろうか? 能力主義の選別を和らげることの方が質の向上に寄与するのではないか、と。

 二つ目の改革の領域は、労働です。学歴と収入が比例し、教育に過剰なほど重きが置かれており、労働の尊厳を取り戻す必要があります。何故なら、労働には経済的な側面に加えて、承認を求める側面があり、社会を統合する絆としての役割を持つからです。

私たちの社会がもし存続できるなら、いずれ、清掃作業員に敬意を払うようになるでしょう。考えてみれば、私たちが出すごみを集める人は、医者と同じくらい大切です。なぜなら、彼が仕事をしなければ、病気が蔓延するからです。どんな労働にも尊厳があります。

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉

 労働の尊厳を取り戻す案として、二つの政治方針を著者は取り上げています。

 一つ目は自由市場への傾倒を止め、労働者が安定した暮らしを送れることを目指す方針です。具体的な政策としては低賃金労働者への賃金補助です。基準額以下の時給に対して、政府が補助金を出す仕組みのようです。これで賃金が低くても、一定の暮らしが保証されることになります。

 二つ目は、税負担を労働から金融へ重点を移す方針です。金融業は巨大産業へと成長し、アメリカでは二〇〇八年には企業利益の30パーセント以上を占めています。しかし、金融は規模を大きくするにつれて、実体経済への投資を逆に縮小しています。金融事業に従事している人々は巨万の富を得る一方で、社会に価値のある貢献を行っているのか疑問視されています。

 金融業への不信感は、これまで世間を騒がせてきた様々な事件を思い返せば、当然のことです。歴史上幾たびも起こったバブル経済は何をもたらしたでしょうか? サブプライムローンが引き起こした混乱は? 枚挙にいとまがありません。

 本書では、急進的なやり方として、給与税の引き下げor撤廃、消費と資産と金融取引への課税が提案されています。逆に穏健的なやり方としては、給与税の減額、実体経済に寄与しないと考えられる高頻度取引に対する課税が挙げられています。

著者が本当に伝えたいことは?

 本書で提示された具体的な対策に対して、批判をすることは容易いことでしょう。例えば、くじによる選別は、今度はくじの抽選に漏れた人々の怨嗟が生じることになるかもしれない。低賃金労働者に補助金を出すと、今度は基準より高い時給をもらっている人たちの労働意欲を下げることになるのではないか? 金融への課税は経済を冷え込ませ、結局のところ労働者たちの生活を苦しめることになるのではないか?

 本書は、能力主義に対する考察は鋭く、読者を惹きつけますが、「ならば、能力主義を乗り越えるにはどうすればよいのか?」という問いかけに対して、有効なシステムを提示できているとは言い難いと私は思います。

 おそらく、著者も能力主義を打破する方策を自信をもって打ち出しているわけではないのだろうと思います。結局のところ、能力主義の良い面を享受しつつも、負の側面に囚われないよう個人の認識を変えていくほかないのだと結論付けているように思います。

人はその才能に市場が与えるどんな富にも値するという能力主義的な信念は、連帯をほとんど不可能なプロジェクトにしてしまう。いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか? その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ、こんなふうに思うのではないだろうか。「神の恩寵か、出自の偶然か、運命の神秘がなかったら、私もああなっていた」

『実力も運のうち』

 人々の間には、人種、性別、職業、貧富、思想……無数の立場の違いがあります。しかし、それぞれがバラバラに断絶して暮らすのではなく、違いを乗り越え、互いに寛容な社会を作ることが大事だ、と著者は『これからの正義の話をしよう』『それをお金で買いますか?』で、主張してきました。同時にその実現のため、市民が各々の立場の違いを乗り越えて共通善について熟慮し、議論することの重要性を訴え続けてきました。

 今作も扱う題材こそ違えど、問題意識の根幹は同じです。エリートと非エリートの断絶はいかにして乗り越えるべきか? 特効薬はくじ入試でもなく、労働者への補助金や減税でもなく、議論を通じて自分の立場と異なる人々への理解を深め、互いに尊重しあうことを人々が身に着けることだ、と著者は主張したいのだ、と私は受け取りました。

総評:★4.5 本レビュー記事では触れられなかった箇所も多いので、本書の細かい部分はぜひ実際に読んでほしい。能力主義に至るまでの歴史、能力主義を否定しつつも乗り越えられなかったハイエクとロールズのくだりなども大変興味深い。歴代大統領の発言を延々と追う場面などが続き、具体的な題材を元に論じた『これからの正義の話をしよう』と比べると、正直読みづらい側面はある。しかし、能力主義に題材を絞り、あらゆる側面から事細かに議論を尽くした本書を読みこむのは貴重な読書体験になるだろう。

参考に

 岡田斗司夫氏が、本書を一時間半を超えるボリュームで分かりやすく解説している動画がありました。私も読了後に一度視聴しました。

(49) サンデル教授の挑戦状!『実力も運のうち~能力主義は正義か?』を語る SDGsを掲げる人類が解決するべき真の課題 岡田斗司夫ゼミ#404(2021.7.25)/ OTAKING Seminar #404 – YouTube

 8つのポイントに分けて、本書に記載された事例以外にも、他の事例を織り交ぜて説明してくれます。著者がアメリカ人だからどうしても事例が全部アメリカだし、社会の仕組みがそもそもアメリカと日本の違いもあるから分からん!というところを、ちゃんと日本人の肌に合うように再構成して話をしてくれますので、とっても分かりやすい。

 動画で著者の主張の大筋がつかめれば、大分本書も読みやすくなるはずです。『運も実力のうち』を読もうと思ったけれど、途中で力尽きた方や、全部読んだけどよく分からないよ!という方にお勧めです。

プロフィール
よまず
yomazu

読書歴10年。大学時代まで全く本を読まない人生を送っておりましたが、文芸部に入部して小説を読んで批評したり、書いたりしているうちに読む習慣がついてしまいました。
一応好物は童話、ファンタジー系ですが、ビジネス書から小説まで読まず嫌いせずに読んでいきます。
現在仕事を辞めて、まったり専業主婦ライフ中。

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