あらすじ
舞台はアーサー王亡き後のブリテン島。
記憶を奪う霧に包まれた国で暮らす、老夫婦アクセルとベアトリスはもはや顔も思い出せなくなった息子の元へ旅立つ。
旅の途中で、サクソン人の少年エドウィン、隣の国からやってきた戦士ウィスタン、アーサー王の甥ガウェインとの出会いを通し、失われた記憶を求める夫婦の旅路が描かれる。
カズオイシグロとの出会い
カズオイシグロの作品で一番最初に読んだのは、たしか「日の名残り」だったと思います。大分昔に読んだので、曖昧にしか覚えていませんが、確か読んでいる大半の時間は「なんかダラダラ過去の回想が続いて退屈な小説だなー……」と感じながら、読了しようという義務感だけでページを読み進めていました。
ここで、もし途中で読むのをやめていたら、おそらく私は二度とカズオイシグロの作品を手に取ることはなかったでしょう。しかし幸いなことに、退屈さに耐えながら最後まで読み切りました。
最終盤のどんでん返しを、目が覚めるような想いで見届けました。それまで読んできた退屈としか感じられなかったエピソードに、全く別の意味、深い意義を見いだすことになりました。読後にずっしりと心に残る充実感は、今まで読んだ数々の本の中でも一番だったと思います。
それ以来、カズオイシグロは、書店で見ると手が伸びる作家になりました。残念ながら全作品はまだ読み切れていませんが、「わたしを離さないで」とか「浮世の画家」などは読みました。(浮世の画家は個人的にはちょっと評価低めなんですけど……)超・分厚い「充たされざるもの」は半分ぐらい読んだところで、図書館に返却しちゃったので、いつか買い直してリベンジしたいところ。
で、今回取りあげる「忘れられた巨人」について。これも過去に一度読んで、非常に印象深い読書体験をもたらしてくれた本です。もう一度読み直したので、レビューしていきます。
感想(ネタバレなし)
失われた記憶を巡る物語
この物語の舞台となる島では、記憶は霧によって奪われてしまいます。穴だらけの記憶と付き合いながら、人々は暮らしています。
物語の冒頭ではその例がいくつあげられています。優れた治療の技術を持ち、重宝されていた女がかつて存在しました。しかしその女が姿を消すと、アクセルはその女の存在を覚えているのに、周りの誰も彼女のことを覚えていない。妻のベアトリスさえも覚えていないと言います。
老夫婦の息子に関しても、二人は彼が存在したという事実以外何も覚えていません。どんな顔だったか、なぜ村を出て行ったのか忘れてしまったようです。それでも、二人は息子が住む村を目指し、旅にでます。
物語が進むにつれ、断片的な記憶を二人は少しずつ取り戻していきます。アクセルは妻を「お姫様」と呼び、何よりも大事にしているところから明らかなように、老夫婦は強い愛情と絆で結ばれているように描かれています。しかし、取り戻されるのはあたたかな記憶ばかりではなく、どこか不穏な予兆を秘めた記憶の断片ばかり。記憶を取り戻すことへの恐れを老夫婦たちは何度か口にしますが、それでも旅を続けることを選択します。
アクセルとわたしの心の中には、お互いへの思いがあります。それがあれば、霧に何が隠されていても、今日からの道に危険などありません。幸せな結末が待っているお話と同じです。途中どんな紆余曲折があっても、恐れる必要などないことは子供でも知っています。アクセルとわたしは一緒に人生を思い出します。どんな形だったにせよ、二人の大切な人生ですもの
『忘れられた巨人』 p240 ベアトリスの台詞
ベアトリスの強い決意があらわれた台詞です。
これほどまでに深い愛情で結びつけられた夫婦がどうなってしまうのか、とっても気になります!
『日の名残り』を読んだとき、結末のどんでん返しに感銘を受けましたが、『忘れられた巨人』はそれ以上といってもよいほどの結末が待ち受けています。様々な理由で途中で投げ出してしまいそうな方もいらっしゃるかもしれませんが、それは実にもったいない!
老夫婦たちを待ち受ける運命とは? そして、タイトルの「忘れられた巨人」とは何か? ぜひ最後まで読んでみて確かめてほしいです。
冒険小説としてのおもしろさ、カズオイシグロという作家の手法
最初、書店でこの本を発見し、背表紙のあらすじを読んでこう思いました。
「カズオイシグロに冒険小説?」
今までの作品の傾向を振り返ると、まーったくイメージにありません。興味半分、不安半分で手に取りました。
アーサー王の甥ガウェインや妖精、鬼、竜が登場すると言ったところからすると、この作品を分類するならファンタジーの冒険もの作品であることは間違いありません。が、主人公は剣も持てない老いたアクセル。魔物に会ったら、即食べられてしまいそうなおじいさん。果たしてこれで冒険活劇が成立するのか?
結論から言えば、冒険小説としてのおもしろさは十分にあります。追っ手からの逃避行、魔物が徘徊する洞窟から脱出……とアクセルとベアトリスの旅は数多くの困難に出会いますが、彼ら二人の奮闘はもちろんのこと、旅の途中で会う騎士ガウェインやサクソン人の戦士ウィスタンが剣を振るい、彼らを助けてくれます。
戦闘のシーンはアクセルの視点を通して描かれますが、これがまた魅力的な描写になっています。言葉にならない戦いの駆け引きを的確に描き、その場に流れる緊張感を余すことなく伝えてくれます。我々、剣など握ったことなどない素人に、戦いに身を捧げてきた人たちの無駄のない思考を分かりやすく、詳しく語ってくれるような叙述方法です。魔法が飛び交うことはないし、作中の人物は超人的な身体能力を持っているわけではないので、派手さはないものの、地に足の着いた描写が特徴的です。
カズオイシグロの持ち味として、情景描写の的確さ、細かさがあげられると思いますが、まさにその持ち味を存分に生かした描写だと思います。戦闘シーンの数は少なく、短いですが、どれも素晴らしい!
一つだけ難点を言うなら、生き生きと動く挿し絵がほしかったかなと思います。扉絵とか表紙だけでもいいから、想像力を掻き立てるイラストがあったら一層いいのになあ。
評価:★4.5 カズオイシグロが好きな人は絶対読んで後悔しない作品、心に残る名作。カズオイシグロが初めての人は文体が合わないと読了が難しいかも、最初は『わたしを離さないで』の方がお勧め。純文学苦手な人にはキツイ。
感想(※ネタバレあり)
ラストで明かされる衝撃の展開。忘却による救いの終わり、予感される民族の対立
ガウェインを一騎打ちで破ったウィスタンによって雌竜クリエグは命を絶たれました。雌竜クリエグの死とともに、忘却の霧の力は失われ、人々に記憶が戻ります。作中、ブリトン人とサクソン人は言葉の壁こそあれど、交じり合って仲良く暮らしていました。しかし、アーサー王の指示による虐殺の記憶が人々に戻り、血で血で洗う憎悪と復讐の戦いが今後待ち受けていると予感させます。タイトルの「忘れられた巨人」とは、霧によって忘れられた民族間の憎しみだったわけです。
クリエグを倒すことは、眠っていた憎しみの記憶を呼び起こすことは、本当に正しいことだったのか? 読後、考えなかった読者はいないはずです。クリエグの死はそう遠くないうちに起こったでしょうが、それでも民族間の戦いを前倒しにしてよかったのでしょうか?
物語はこの大きな問いかけを最後に読者へ突きつけましたが、あなたはどう考えますか? 正しい歴史を追求する代償としてやむを得ない、と割り切るべきか、それとも霧に包まれたままの方がよかったと思うか、人によって意見が分かれるところだと思います。どちらが正しい、ということは絶対にない問いかけです。
民族間の憎しみ、争いの悲惨さは歴史上枚挙にいとまがありません。現在だってウクライナ戦争が続いています。忘却の霧の力がもし及べば? 平和がそこで得られたら、それを偽りのものだと非難できますか? 忘れられた犠牲者たちの復讐を果たすべき、とあなたは声高に叫びますか?
核兵器を持って牽制しあうよりも、記憶を奪う霧の発生装置の方が、平和を守るためには役に立つかもしれません。
夫婦たちの愛
記憶を取り戻した人々の中にはもちろん、アクセルとベアトリスの二人もいます。民族の記憶と対比して、個人の記憶をめぐるエピソードが語られています。
もうね、一回目の読了時はとにかく「カズオシグロ、あんたまたやってくれたな! なんてどんでん返し、また決めてくれやがった!」とぶったまげました。以下の引用文を読んだ時の衝撃は、本当に言葉にしがたい。
つぎの部分については、わたしが多くの責任を追わねばなりますまい。確かに、ほんの一瞬、妻はわたしに不実でした。ですが、そもそもわたしのした何かが、妻を別の男の腕の中に追いやったのかもしれません。
忘れられた巨人 P469 アクセルの台詞
おしどり夫婦の見本のような二人にまさかそんな過去があろうとは! 旅の道中、確かに不穏な描写は随所にありました。序盤に登場した船頭と夫に置いていかれたおばあさんの話、終盤ベアトリスが一人で過ごした夜の記憶について語りだすところ……色々ありましたが、まさかこう来るとは。
悲劇的でドラマチックなことではなく、ある意味下種で我々の生活にもありそうな事柄というのが、かえって衝撃的。まさかこの夫婦に限って、そんな汚い記憶はなかろうと無意識に思い込んでいました。確かに伏線は丁寧に貼ってありましたが、この展開の予想できた方、いらっしゃいますかね? わたしはカズオイシグロに華麗に騙されたので、青天の霹靂でした。
そして、ここで終わったら「なんだそりゃー!騙された!」と歯噛みして終わるところですが、まだこの後続きがありまして、再度どんでん返しを食らう羽目になる。
「おまえは霧が晴れるのを喜んでいるかい」
「この国に恐怖をもたらすものかもしれないけれど、わたしたち二人には、ちょうど間に合ったって感じね」
「わたしはな、お姫様、こんな風に思う。霧にいろいろと奪われなかったら、私たちの愛はこの年月をかけてこれほど強くなれていただろうか。霧のおかげで傷が癒えたのかもしれない」
忘れられた巨人 P477 アクセルとベアトリスの会話
なんて深いやりとりなんだろう。何度読み返しても、そう感じます。
考えてみてください。配偶者が浮気したと知ったとき、どう反応しますか? まず想像されるのは、相手に怒ること、絶望すること、悲しむこと。いずれにしても、今後の関係に大きなひびが入ることには違いないでしょう。
記憶を取り戻したアクセルはそのいずれでもありません。しかし、ただ許したわけでも、無感動に受け入れたわけでもありません。忘却の霧が時間をくれたのです。ベアトリスを許し、受け入れるまでに必要な時間を。
おそらく、忘却の霧がなかったら、アクセルはベアトリスを受け入れることはできなかったでしょう。息子の墓参りに行かせなかったのも、表面的には和解していても、心の底から許せたわけではない表れ。作中の愛情豊かな夫婦にはきっとなれなかった。
民族の記憶は忘却の霧が晴れた途端、再び争いを引き起こそうとしています。一方、二人の記憶は霧が晴れても、愛を失いませんでした。忘却の霧は単なる一時しのぎに終わらず、過去の遺恨を癒す特効薬として作用しました。この対立構造は間違いなく、作家の仕組んだ構図でしょう。
ここからは特に個人的な感想をちょっとだけ書かせてください。私、一応配偶者がいる立場ですが、ありがたいことに今のところ夫婦仲円満に過ごしております。お互い浮気はしたことがないので想像でしか語れませんが、浮気はたとえ一時的なものであっても、おそらく夫婦仲に致命的なダメージを残すだろうと思うのです。表面的な和解があっても、浮気がなかったころには戻れない。なにかが変わってしまって、一生修復できないものだと思っています。
逆に言えば、忘却の霧というファンタジーを持ち出してようやく、破壊された信頼関係を修復するチャンスが与えられたのではないか。そんな風に考えてしまいました。
分からなかったところ
読んでいて非常におもしろかったし、心を打つ作品であることは間違いありませんが、その一方でいくつか理解しきれなかった謎が作中に残ってしまいました。私の読み込み不足が原因かもしれませんが、一応紹介しておきます。
エドウィンの母とは? なぜ竜に傷をつけられたのか?
作中、エドウィンは母の声に何度も呼ばれていますが、その正体がよくわかりません。クリエグが倒れた後に母の声が聞こえなくなっていることなどを考えると、母はクリエグだったのかなと推測されるのですが、じゃあエドウィンは竜の子なのか?というと、そんな風にも思えず……サクソン人であることは間違いないはずなんですよね。
エドウィンが傷をつけられた場面も描写はされていますが、鬼に捕まっているときに何で竜にかまれたのかはよくわかりません。何でそこに竜がいたの??
結論:エドウィンはよくわからんということ
物語の終着点について
最後のエピソードは船乗りの視点から書かれており、アクセルを置いて船を出すシーンで終了しています。船乗りの思考の不穏さと合わせて、二人は離れ離れになる未来が予想されます。
それってやっぱり過去の不和がある限り、並外れた愛情を持つ夫婦として認められなかったからでしょうか? 一応、そう読むことはできるでしょうが、船乗りは二人の愛情を真剣に図っているようにはとても見えません。じゃあ、何のために二人を引き離そうとしているのか? 金目的の誘拐ではないだろうし、動機がさっぱりわかりません。
うーん、分かる方いらしたら教えてください。物語の根幹にかかわる部分なので、ちゃんと理解したいんですが……。
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