昔、勉強したなあ
舞台は16世紀、イングランド国王ヘンリー八世とアン・ブーリン……と言えば、世界史で勉強した記憶がうっすらと蘇ります。ヘンリー八世と言えば、6回もの結婚を繰り返したやべーやつ、アン・ブーリンと言えば、ヘンリー八世を誘惑して寵を得た悪女。
世界史の教科書の無味乾燥した記述からさえ、これでもかと放たれるドロドロ人間ドラマの香り。結婚離婚6回ってどういうことだ? 教科書に載る悪女ってなんだ? 小説になったら、いったいこれがどれだけ増幅されることやら?
文庫本にして900ページ近くの上下二冊、はてさてどんな醜聞メロドラマが繰り広げられているかわくわくしながらページを繰るのでありました。
期待にばっちり応えるドロドロ具合
主人公はアンの妹メアリー・ブーリン。歴史上有名なヘンリー八世でもなく、アン・ブーリンでもありません。
メアリーはアンが寵愛を受ける前にヘンリー八世の愛人となり、ふたりの子供まで授かります。(しかも愛人になった当時、年齢14歳! いやその前に既に人妻だった!)
しかしメアリーが得た寵愛は長く続かない。二人目の子供を妊娠している間に、ヘンリー八世は姉のアンに目移りしてしまいます。しかも、それはアンとメアリーの叔父による指示。ハワード一族の女から王の寵愛が移ってはならぬ、他の一族に渡してはならぬというもの。
叔父からの過酷な指示。しかしこれに対するアンの回答は、姉妹の絆にひびが入ると悲しむわけでなく、むしろ不敵な態度を示すのです。
「わたしはあなたの恋敵として生まれてきたのよ」アンはさらりと返してきた。「そして、あなたはわたしの恋敵として。だって、私たち姉妹じゃないの」
(p269 ブーリン家の姉妹(上))
この不敵な態度こそがアン・ブーリンの強さの源。妹にだって負けてられない。
ドロドロの隙間から垣間見えるもの
ドロドロの人間関係でもうお腹いっぱい!と思わず叫んでしまいそうですが、この作品、ドロドロだけが売りではありません。きらびやかな宮廷の闇ばかりが語られるのではなく、その合間に人の尊厳、あるいは美しさも併せて語られているのです。
物語の後半、宮廷で権勢を誇るアンとは対照的に、真実の愛を求めたメアリーの姿はその筆頭でしょうし、ヘンリー八世の王妃キャサリンは愛人たちに屈辱を覚えながらも、決して感情を表には出さず、王妃の威厳を保ち続ける姿は哀れさよりも崇高さを感じました。
あと、ヘンリー八世について。
彼はまるで餌をぶら下げられた獣のごとく、廷臣たちが差し出す女たちを乗り換えていく姿が描かれております。いっそ、哀れにさえ思えてくるのですが、その根本には男児の継承者を得たいと、次代のイングランドを思うがゆえの行動とも言えるわけで。事実、歴史上の君主としては名君として伝えられています。王妃が男の子を産んでさえいれば、醜聞ばかりが先立つ王として歴史に名を残すことはなかったのではないか、と想像を巡らせてしまいました。
個人的には、ブーリン家の姉妹の兄・ジョージが作中で最も魅力的な登場人物だと思いました。
アンとメアリーはお互いを助け合いつつも、火花を散らしあう仲ですが、一方、兄のジョージは二人を陰日向に献身的に支えています。ハワード家の策略を推し進めるために王の寝台へ妹たち二人を送り込むことはもちろん、メアリーが身分違いの恋を打ち明けた時もジョージは唯一の協力者となってくれました。いつも明るく、軽妙洒脱なやりとりを妹たちと繰り広げる様は、作中でも数少ない清涼剤として読者の心を癒してくれます。
ちなみに物語序盤で彼は結婚しますが、妻とは不仲で姉妹の部屋に入り浸る姿は、「嫁がいるから家に帰りたくない!」と飲み屋で管をまくサラリーマンのよう。彼の愛嬌をより感じるポイントなのですが、この事実が後々ジョージの運命を狂わせる一因となるのです。
ぼくたちうまくやっていると思わないか、ブーリン兄妹は。ぼくは婚約して、おまえはいずれ国王とベットを共にする。そしてかわいいマドモアゼル完璧(パルフェ)は引く手あまただ。売り物はいくらでもある。
(p58 ブーリン家の姉妹(上)) ジョージのセリフ
さあ、華やかな栄光の道を歩み始めたブーリン家を待ち受ける結末はいかに?
評価:★★★★☆ 華やかな宮廷生活のもったいぶった台詞回し、奥深い人間ドラマは秀逸。しかし反面、主人公メアリーの真実の愛を求める要素は、表面的に感じた。
余談
英国の歴史を知らずとも、この作品は十分楽しめますが、知っているとより一層楽しめます。ヘンリー八世の結婚・離婚はアンの死後もまだまだ続きますし、作中にも出てきているアン・ブーリンの娘エリザベスは後々、即位して英国史上でも屈指の君主として名を残すことになります。そのあたりを踏まえて、読み方が変わってきますよ。
「いや学校の歴史、死ぬほどつまんなかったし!」と世界史アレルギーを発症している方は少なくないでしょう。そんなあなたにこちらの動画がお勧めでございます。
掛け合い形式で歴史を解説しているチャンネルなのですが、軽快なトークにのせて肖像画をいじったり、時々出てくる磯野家(笑)など、歴史を知らずとも見ていて楽しい動画になっております。ヘンリー八世のヤバいエピソードも網羅しておりますので、勉強したい方はぜひ一度ご覧ください。
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